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歴史探訪
 

銅とベンガラで栄えた山里 吹屋ふるさと村

訪問した人
株式会社アイアットOEC
総務グループ 主任
大村 紀子さん

[写真]

 岡山県の山あいに、かつて銅山とベンガラ(赤色顔料)の生産で栄えた吹屋の街並みが残っています。

 ここを訪れたのは、ASPサービスなどを手がける株式会社アイアットOECの大村紀子さん。会社では総務グループに所属し、給与計算や社会保険の取り扱いはもちろん、接客や電話対応など、幅広い業務を担っています。また大村さんは、社内のアウトドアクラブの副部長でもあり、年に数回は仲間たちと中国地方各地へでかけ、キャンプを楽しんでいる活動派でもあります。

 2年ほど前に瀬戸内市で開催された三地区(中国四国九州NUA)合同で開催されたコーチングがテーマのレディース研修に参加されたという大村さん。「自分とは逆のタイプの人とのコミュニケーションは勉強になりました。また、『傾聴』では、意識して人の話を聞くことが難しいと実感しました。他の地域の人たちと仲良くなって、交流ができたのは楽しかったです」とのことです。

銅山の栄華を伝える広兼邸

写真 思わず見上げてしまう壮大な石垣が特徴の広兼邸

 最初に訪れたのは広兼邸です。ここは銅山とローハ(ベンガラの材料)で財をなした庄屋の家で、壮大な石垣を持つ城郭のような外観が特徴です。屋敷の内部には、居間や客間など数多くの部屋があり、大正時代に増築されたという離れもそのまま残っていて、当時の栄華をしのばせます。高台に建てられた屋敷からの風景は見事なもので、大村さんも「ここから眺める春の花や秋の紅葉、それに冬の雪景色もすてきでしょうね」と、しばし見とれていました。

 
写真 いざ笹畝坑道の探検に出発!

 広兼邸を出て、笹畝坑道に向かいます。ここには、かつての銅山の跡が実際に残っていて、内部の坑道が保存されています。訪れたのは晩夏の暑い日でしたが、中はとても涼しく、上着がほしいほど。大村さんはここが大変気に入った様子で「今でもこんなに残っているんですね。中の空間がとても広くて、採掘が盛んだった様子が想像できます」と話してくれました。

 

ベンガラ商人がつくった吹屋の街並み

写真 ケースの中にベンガラの見本が展示されていました

 笹畝坑道を後に、吹屋の中心地に戻りました。ここには、江戸時代から明治にかけての街並みが残されています。立ち並ぶ家々を見ながらのんびりと歩いて、その中の一軒、今は郷土館となっている建物に入ってみました。ここはベンガラ製造の支配人の家で、明治12年につくられたという建物です。

 
写真 美しい格子を通して、陽光が差し込みます

 向かいの旧片山邸も、吹屋のベンガラ商人の邸宅です。江戸時代後期に建てられた後、明治時代に座敷が増築されたもので、片山家がベンガラの商売で隆盛していった様子がうかがえます。中は時間が止まったような静かな空間で「まるでタイムスリップしたみたいですね。家の中が広くて、当時の繁栄ぶりがよく分かります」と大村さん。

 

 吹屋で生産されたベンガラは、馬で山を下り、高梁で高瀬舟に積まれて、そこから50kmほど先の玉島の港へ、さらに全国へと運ばれていたそうです。大村さんも「そんなに遠くまで運ばれていったんですね。ベンガラが当時、いかに貴重なものだったかが分かりますね」と少し驚いたようでした。

最古の木造建築が残る吹屋小学校

写真 こんな校舎で勉強してみたいと思わせる吹屋小学校

 再び吹屋の街並みを歩いて、近くにある吹屋小学校の建物を見にいきました。ここの校舎は明治33年から42年にかけて建築されたもので、現役の木造校舎としては日本最古のものだとか。「こんな校舎で勉強できるなんて、大変かもしれませんが、ちょっとうらやましいですね」と大村さん。校外学習に出かける子供たちの明るい声を背にしながら、吹屋の街並みを後にしました。

(2009年9月15日掲載)

吹屋ふるさと村一口メモ

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 岡山県の中西部、標高550mの山あいに位置する吹屋地区。大同2年(807年)に発見されたという銅山は、江戸時代に入った17世紀から本格的な開発が始まり、18世紀の中ごろにはベンガラの生産も始まりました。中国地方一の銅山に加え、特産品のベンガラの生産によって、江戸時代から明治にかけて、吹屋は鉱工業地として大いに繁栄しました。また、吹屋街道の拠点として、銅のほかにも中国山地で生産される砂鉄や薪炭、雑穀などの問屋が並び、旅籠屋や飲食店もできて、荷馬の行列でにぎわったといいます。
 こうした繁栄を背景に、財をなした商人たちは、赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な街並みをつくり上げました。吹屋の街並みの特徴は、一軒ごとに豪華さを競うのではなく、旦那衆が相談の上、石州(島根県)から宮大工の棟りょうを招いて、統一した様式で建てていったという点にあります。これは現代の街並みづくりにも通じる、当時としては非常に先進的な発想といえます。
 やがて銅山が閉山し、ベンガラも工業生産が可能になると、吹屋の隆盛も昔日の夢と消え、昭和52年には国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。


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