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歴史探訪
 

400年の歴史を語る 松山城

訪問した人
コープしこく
情報システム部
崎山 博史さん

[写真]
威風堂々とした松山城の姿。現存する江戸時代の城郭の中で、姫路城、和歌山城とともに日本三大連立式平山城に数えられる名城です。

 築城から約400年を迎える松山城を訪れたのは、コープしこくの崎山博史さん。職場ではプログラムの開発や運用に携わり、時には休日・深夜の勤務もこなしています。余暇は、運動不足やストレス解消にテニスに熱中されているとのこと。

 標高132mの勝山山頂にある松山城へは、ロープウェイに乗って3分ほど。そこから石段を上ります。山頂に着くと、堂々とした天守閣が目に飛び込んできます。松山城の城壁はびょうぶを立てたように折れ曲がっているのが特色で、これには崎山さんも「敵からの攻撃を防ぐために、さまざまな工夫がしてあるのですね」と感心していました。

 松山生まれの崎山さんも「子供のころ以来」という天守閣にも登ってみました。「急な階段が印象的だった記憶があるのですが、変わっていませんね」という通り、天守閣の中は木造の急な階段になっていて、昇降に神経を使います。最上階からは松山の市街が一望できます。「私の職場からも松山城はよく見えます。歴史があるだけでなく、松山のシンボルでもあるのです」と崎山さんは少し誇らし気に語ります。

 再びロープウェイで山を下り、「坊ちゃん列車」に乗りました。夏目漱石の小説「坊ちゃん」に登場する列車を模した姿は、SL風の機関車に、マッチ箱のような小さな客車。崎山さんも「うるさい上によくゆれますが、風情があっていいですね。街の風景まで違って見えます」とお気に入りの様子。

 松山城近くの大街道駅から10数分、坊ちゃん列車でやってきたのは道後温泉。ここの本館は大衆浴場の草分け的な存在で、110年の歴史がある建物です。崎山さんも「伝統ある建物にはやはり圧倒されますね」と感慨深げです。歴史ある松山の街は、訪れる人を引きつける魅力にあふれていました。

(2009年3月3日掲載)

松山城一口メモ

写真
城壁が折れ曲がっているのがよく分かります。

■ここでチェック

松山城の歴史は、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いで「七本槍」の一人として名をはせ、後の関ヶ原の戦いでも武勲のあった加藤嘉明が、慶長8年(1603年)にこの地に築城を開始したことに始まります。このとき「松山」という地名も生まれました。松山城は寛永4年(1627年)に完成しますが、嘉明はその直前に会津へ転封となり、後には蒲生忠知が出羽から移ります。しかし忠知には嫡子がなく、寛永12年(1635年)には親藩の松平定行が伊予松山15万石に封じられ、以後、幕末まで松平家の居城としての歴史が続きます。松山城の天守閣は当初、五重であったと伝えられますが、松平定行の時代に三重に改築されました。これは幕府に遠慮したためとも、軟弱な地盤に対処するための安全対策であったともいわれています。その後、天明4年(1784年)に落雷で天守が焼失し、曲折を経て復元が成ったのは明治も間近の安政元年(1854年)でした。こうして、我が国最後の完全な城郭建築といわれる現在の松山城の姿が整ったのです。


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