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歴史探訪
 

天璋院篤姫ゆかりの地 指宿市

訪問した人
株式会社南日本情報処理センター
経営管理本部 本部長
鶴田 直樹さん

[写真]
錦江湾に面する別邸の石垣と松林にて。老松の樹齢は300年以上といわれ、桜島が望める美しい光景が広がります。

 ダイナミックなストーリー展開で激動期を生きる女性の姿を描き、多くの視聴者を引き付けているNHK大河ドラマ「篤姫」。その篤姫ゆかりの地、指宿市を訪れたのは株式会社南日本情報処理センターの鶴田直樹さん。鶴田さんは、西郷隆盛の遺徳をしのんで墓に参る人々のために設けられた参拝所である「南洲神社」の禰宜(ねぎ)でもあります。

 「篤姫と西郷隆盛には二つの大きな接点があります。一つは、西郷が篤姫の嫁入り道具の準備をしたこと。そしてもう一つは、天璋院となった篤姫が東征軍参謀であった西郷に“徳川に嫁いだ自分は徳川の人間として生きる覚悟なので、自分の命よりも徳川家を救ってほしい”という主旨の手紙を出したことです」と、鶴田さんは語ります。

 爽やかな青空の下、降り立ったのは薩摩今和泉駅。この地は、1754年に建設された篤姫の生家の今和泉島津家の別邸があった所です。最初に訪れたのは、今和泉島津家の墓所。初代から篤姫の父や兄まで、6代の殿様と奥方の墓があります。近くにある豊玉媛神社は、篤姫がお輿入れ前にお札を納めたといわれています。

 さらに国道を渡り、別邸跡に建つ今和泉小学校へ。校庭には篤姫が使ったとされる手水鉢や井戸が残され、錦江湾に面する海岸には当時の石垣や松林が残り往時を偲ばせます。

 「薩摩藩には、武士の子弟の教育法である郷中(ごじゅう)に代表されるように英傑を生む素地がありましたが、篤姫も聡明なだけでなく、芯が強くプライドを大切にする人だったのでしょう」と改めて篤姫に思いを馳せ、初めて訪れたという、江戸の風情を残す薩摩今和泉の町並みを後にします。

(2008年7月8日掲載)

篤姫一口メモ

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豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭った豊玉媛神社は、今和泉の郷社。煙草神社も合祀されています。

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 天璋院篤姫は、天保6年(1836年)に薩摩島津一門家の今和泉家第5代当主の忠剛(ただたけ)の第4子として誕生。薩摩島津本家の養女となった後に、5摂家筆頭の近衛家の養女となり、徳川幕府13代将軍の徳川家定に嫁ぎ御台所となりました。しかし、わずか2年足らずの安政5年(1858年)には家定が急死し、篤姫は落飾して天璋院と名乗ることになりました。分家の姫君から将軍家の御台所になったことでシンデレラストーリーと見る向きもありますが、幸せな結婚生活は長くはありませんでした。大きな時代のうねりに巻き込まれる中で、自らの考えや意思を貫こうとし、徳川家のために尽くした天璋院篤姫こそシンデレラではなく、まさに「薩摩おこじょ」の代表と言えるかもしれません。

 篤姫は嫁いで後、再び鹿児島を訪れることはなかったそうですが、今回訪れた篤姫の父母や兄の墓所や、美しい海岸を見ると、どれほど望郷の思いを心に秘めていたのか、その胸中を知りたい思いに駆られることでしょう。


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