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歴史探訪
 

太宰 治ゆかりの地 青森県・金木町

訪問した人
株式会社青森電子計算センター
石澤 美智代さん

[写真]花見橋に立つ松柳さん
明治40年に建設された斜陽館を背景に。1階916.86u、2階383.41uの豪邸。入館時は吹雪いていましたが、退館時には青空がのぞきました。

 地吹雪を体験するツアーに多くの観光客が集まる厳冬の津軽地方。粉雪舞う中、株式会社青森電子計算センターの石澤美智代さんと太宰治ゆかりの地を訪ねました。

 津軽五所川原駅から有名なストーブ列車に乗車し、ストーブの上に早速スルメを乗せると、香ばしい匂いが車内に広がります。「初めて乗るのでとても楽しみにしていました」と言う石澤さんの趣味はカメラ。ダルマストーブの次は“生もの、汁もの、油ものを焼くのは禁止”と書いてある張り紙を被写体にします。

 約30分で太宰の生家がある金木駅に到着。国の重要文化財にも指定されている斜陽館へと向かいます。大学では情報科学を専攻した石澤さんも、かつては文学少女だったとのこと。「太宰の作品の中で印象に残っているのは『走れメロス』の最後に“古伝説とシルレルの詩から”とあって、完全に自分の創作でないことを明かしていたことです」と語ります。

 戦前の大地主の豊かな財力を偲ばせる和洋折衷の斜陽館の見学を終えて外へ出ると、吹雪から一転して青空が。太宰が子守りのタケによく連れられて行った雲祥寺、さらに津島家の菩提寺の南台寺を訪れました。再び吹雪のため残念ながら文学碑のある芦野公園の散策は中止。津軽鉄道の旧駅舎を喫茶店にした、その名も「駅舎」で一休み。

 生粋の津軽弁はよくわからないという石澤さんも、やはり青森県人。「東京に長期出張で滞在していた時には空港で故郷の言葉を聞くと、さあ帰るという実感が湧いてきましたし、ねぶたのお囃子には血が騒ぎます」と。「これからは、今シーズンスキーデビューした4歳の息子といろいろな所へ行きたいですね」と、我が子を思うやさしいママの顔で語ります。

(2008年3月3日掲載)

太宰 治一口メモ

写真
階段の踊り場に立てば当時にタイムスリップ。最高の木材を使用し、あらゆるところに細工が施されている。(斜陽館で)

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 石太宰治(本名 津島修治)は、明治42(1909)年、青森県北津軽郡金木村(現在の青森県五所川原市)に、大地主の津島源右衛門とタ子(たね)の11人の子の10番目、6男として生まれました。旧制中学時代から文筆活動や同人誌を発行するなど作家を志し、昭和8(1933)年には太宰治のペンネームを使い始め、以来多くの読者を魅了する作品を発表しました。

 昭和23(1948)年、山崎富栄と6月13日に玉川上水で入水心中。遺体が発見されたのは奇しくも満39歳の誕生日の6月19日でした。その日は桜桃忌として、墓所のある三鷹市の禅林寺にはいまだに数多くのファンが訪れます。

 太宰の生家は、昭和25(1950)年から旅館「斜陽館」として営業されていましたが、平成8(1996)年に旧金木町が買い取り、太宰治記念館「斜陽館」として運営しています。


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