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歴史探訪
 

いにしえの輝きが蘇る 石見銀山遺跡と大森町

訪問した人
東亜ソフトウェア株式会社
システム開発部 本池 由絵さん

[写真]花見橋に立つ松柳さん
龍源寺間歩で。静かな自然の中を散策できて心もリフレッシュされましたと語る本池さん。この間歩は、江戸時代の1715年に掘られ、1943年に閉鎖された。

 「美しい町並みが昔のまま残っているのですね」。東亜ソフトウェア株式会社システム開発部で働く本池由絵さんは、大森の町並みに思わず感嘆しました。今回、本池さんと訪ねたのは、石見銀山遺跡と、銀山運営を支えた大森町です。大森町は、鉱山を管轄する行政がおかれ、武家屋敷、商家などが集まって栄えたところ。石見銀山は16世紀から17世紀に隆盛をきわめた鉱山です。16世紀には、世界の銀産出量の約3分の1を日本が占め、そのほとんどが石見銀でした。銀山はその後衰退しますが、2007年7月に世界遺産に登録され、新たな輝きが蘇りました。

 「以前、映画『アイ・ラヴ・ピース』を観て、その舞台となった大森町を一度は訪ねてみたいと思っていました」という本池さんは、豪商の住宅や代官所跡など、赤茶色の石州瓦で葺かれた古い建物が並ぶ町を訪ね歩きました。その後、約600ある銀山の間歩(坑道)の中で、公開されている龍源寺間歩を見学。「銀鉱石の採掘に携わった大勢の人々の苦労は計り知れません」。間歩内に掲示されている採掘の模様を描いた“石見銀山絵巻”をつぶさに見て本池さんはこう語りました。

 帰路に銀山公園の林の中を通りながら、本池さんはかつての銀山に思いを馳せます。「お寺が点在するからでしょうか。厳かな雰囲気が漂っているようです。今は静かですが、銀山として栄えていた当時はにぎやかだったのでしょうね」。

 「銀山と聞いて、鉱山跡の荒れたイメージを持っていたのですが、自然が豊かなところですね。歴史の残る町を歩くことができ、楽しい一日でした」。ドライブと天守閣めぐりが趣味の本池さんですが、石見銀山遺跡の散策も堪能したようです。

(2007年12月27日掲載)

石見銀山遺跡と大森町一口メモ

写真
大森町の商家の前にたたずむ本池さん。町は、銀山川に沿って南北1kmに細長く伸びる。かつて、代官所、武家屋敷、商家、神社などが混在し、銀山の発展とともに栄えた。

■ここでチェック

 石見銀山が歴史に登場するのは、戦国時代に博多の豪商神谷寿禎によって発見されてからです。寿禎は、灰吹法という当時最新の精錬技術を朝鮮から導入し本格的な銀山開発に着手しました。この精錬技術は生野銀山や佐渡銀山をはじめ各地に伝えられ、日本は、16世紀の大航海時代に欧州に金銀を供給する主要国になります。この頃、銀山の管轄と集配の基地となったのが大森町です。欧州に輸出されたアジアの銀はソマ銀と呼ばれましたが、これは大森の古称、佐摩に由来するそうです。江戸時代には徳川家康が直轄地とし、石見銀山は幕府の財政を支えます。大森町には代官所が置かれ、武家屋敷と商家が混在する変化に富んだ景観を形成しました。

 採掘した銀鉱石はその場で精錬され、大森町から銀山街道を経て、主として沖泊港から積み出されました。精錬には、木材が燃料として使われていましたが、その森林資源も管理されていたので、現在も樹木の豊かな自然が残っているのです。


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