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歴史探訪
 

加賀百万石の文化遺産 金沢・兼六園

訪問した人
一村産業株式会社
システム室 松柳 いずみさん

[写真]花見橋に立つ松柳さん
擬宝珠(ぎぼうし)の欄干がある花見橋で。曲水に沿って、桜、カキツバタ、サツキ、ツツジなど、四季折々の花が咲き誇る

 金沢市は、前田利家が戦国時代の終わりに尾山城(金沢城)に入城して以来栄えた百万石の城下町。今に残る武家屋敷跡、金沢城跡、加賀友禅や金箔の伝統工芸などは、14代続いた前田藩主が連綿と培った文化遺産です。その代表ともいえる金沢城の外郭であった兼六園を一村産業株式会社システム室で働く松柳いずみさんと訪ねました。

 兼六園の歴史は、5代目藩主の綱紀が1676(延宝4)年、別荘を造営したことに始まります。その後、歴代藩主がその時々の造園技術の粋を集め、300年かけて完成しました。

 「県外の友人が遊びにきたら必ず案内します」と言う松柳さんにとって、兼六園は“おもてなしの場”のようです。松柳さんは霞ケ池や曲水を巡り、いつもとは違った視点で観察しました。「苔むした美しい庭に加賀の人々の粋を感じますね」。

 兼六園の中で松柳さんが一番好きなところは、東南端にある「金城霊沢」という小さな泉。「昔、芋掘藤五郎という人が芋を洗ったところ、砂金が出てきた泉と言われ、『金沢』という地名の由来になったと伝えられている場所です」。松柳さんにとっては、時空を超えて想像力を広げられる貴重な場所なのかもしれません。

 そんな松柳さんは、最近、「加賀野菜」を使った加賀料理に興味があるそうです。「加賀料理は地元で採れた素材の味を大切にしている家庭料理です。加賀れんこん、金時草など江戸時代からある野菜を使います」。自慢の料理は戦国時代から伝わるという説もある鴨料理「じぶ煮」です。

 「加賀藩が育てた伝統を守り育て継承している金沢がますます好きになりました」。松柳さんは兼六園を出た後、そんな感想を聞かせてくれました。

(2007年11月1日掲載)

函館一口メモ

写真
利家を祀る尾山神社で。伝統的な中に新しい感覚を取り入れたものが好きという松柳さん。後ろの神門は和洋折衷の様式で造られ、3層目の窓にはステンドグラスがはめ込まれている

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 兼六園の前身は、1676(延宝4)年に5代目綱紀が別荘の周りに造った庭園。後に大火で消失しますが、11代の治脩が修復に着手し、12代目斉広が回遊式の広大な庭園に拡張します。このとき、元老中松平定信が、宋の李格非の『落陽名園記』に名園の条件として挙げられていた6つの要素(六勝)を備えた庭園という意味の「兼六園」という名をつけました。13代の斉泰のときに、霞ケ池を拡張し、今の形が出来上がりました。

 明治時代になると、百万石の城下町にも文明開化が訪れます。兼六園の敷地内には、西洋人技師のための洋館、理化学校などが建てられ、兼六園は西洋技術の発信地となります。廃藩後、旧藩の重臣たちが利家を祀る卯辰八幡宮を金沢城の西側に移築して尾山神社とし、ここに西洋技師らを登用して和洋折衷の神門を建てさせました。


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