NUA WORLDトップ > 歴史探訪 > 第3回 開港史を物語るハイカラな街 函館
歴史探訪
 

開港史を物語るハイカラな街 函館

訪問した人
株式会社エスイーシー
業務管理部 山上 しのぶさん

[写真]八幡坂をバックに立つ山上さん
八幡坂から函館港を望む。末広町から元町にかけては坂道が多い。このあたりに、明治から昭和初期にかけて建てられた洋館や和洋折衷の建物が点在する

 函館は、幕末に日本で最初に開港した貿易港の1つです。当時、西洋の技術や文化がいち早く入ってきて、先進的な都市として発展します。欧米人が渡来し、教会や外国公館などの洋館や和洋折衷の建物が建てられ、函館は北海道の近代化の先駆けとなりました。特に西部地区の元町・末広町は交易、外交、文化の中心地として栄えました。現在も明治末期から昭和初期に建てられたハイカラな洋風の建物が数多く残っています。

 株式会社エスイーシーの業務管理部で働く山上さんと元町・末広町の洋館を訪ねました。山上さんの職場もその一角にあり、もともと昭和元年に完成した旧第百十銀行だった建物です。昔は会社の前の通りに金融機関が集まっていたそうです。

 日頃、歴史ある建物の中で過ごしている山上さんですが、「キリスト教系の高校に通学していたときに、研修で元町の教会を訪ねたことがありますが、それ以来就職するまで来たことはありませんでした」と振り返ります。「でも、この会社に入ってからは、旧イギリス領事館のティールームに行ったり、レンガ倉庫のレストランで昼食をとったりするようになりましたね」。往時がしのばれる街並みも、今の山上さんにとっては日常の見慣れた風景であって、過ぎ去った歴史の遺物ではなかったようです。

 今回の散策を終えた山上さんは、こんな感想を聞かせてくれました。

 「ふだん何気なく行き来している街ですが、一歩入ってじっくり見て回ると、時空を超えた別の世界が広がっていて、雰囲気のあるところですね」。山上さんは初めて、異次元にタイムスリップしたように感じたようです。

(2007年9月5日掲載)

函館一口メモ

写真
旧イギリス領事館の洋式庭園で。領事館は、文久3(1863)年に建てられて以来、何度も火災で焼失。現在の建物は大正2(1913)年に基坂に完成、1992年に復元して一部を公開

■ここでチェック

 江戸時代、箱館(明治2年に函館と改称)は同じ松前藩の福山、江差の港ともに、外国からの交易船が入港できる港として栄えました。安政2(1855)年には、日米和親条約によって自由貿易港として開港されます。

 幕末から明治にかけて、諸術調所(洋学校)、ロシアやイギリスの領事館、教会、検疫所、函館どつく(洋式造船所)などが建てられ、西洋の技術や文化が函館に浸透していきます。

 函館は昔から大火が多く、歴史的な建物の多くが何度か焼失しては再建されています。金森倉庫、旧ロシア領事館、函館ハリストス正教会復活聖堂、函館元町カトリック教会、聖ヨハネ教会などは、最初、幕末から明治の中ごろまでに建てられていますが、その後の火災で焼失し、現在の建物は、明治の終わりから昭和初期にかけて再築されたものです。

 こうした歴史的な建物は今も元町や末広町を中心に残っており、この界隈は、国による保存地区の指定を受けています。


pagetop