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歴史探訪
 

琉球王国の発祥の地 浦添グスク・浦添ようどれ

訪問した人
株式会社りゅうせき
ITソリューション事業本部 比嘉 和也さん

[写真]国上寺本堂をバックに立つ江口さん
手前の東室(尚寧王陵)とその横にある西室(英祖王陵)が並ぶ浦添ようどれ。西室内部は浦添グスク・ようどれ館内にレプリカとして復元されている

 那覇市に隣接する浦添市の浦添グスクが、首里城以前の琉球王国の王宮だったことが近年の調査でわかってきました。

 浦添グスクは13世紀ごろ築城され、15世紀までに英祖王や察度王などが居城としたといわれています。14世紀に中国や東南アジアとの交易で栄えた浦添は、王都として整備され、首里の原型となります。15世紀の初めに王宮が首里城に移転し、浦添グスクは荒廃しましたが、その100年後に、浦添出身の尚寧王が再び居住するようになります。

 今回は、地元に住む株式会社りゅうせき・ITソリューション事業本部の比嘉さんが浦添グスク(浦添城跡)を訪れました。

 比嘉さんは、まず浦添グスクの北側の断崖にある「浦添ようどれ」に向かいました。「ようどれ」とは琉球語で夕凪、死者の世界、墓という意味で、ここに英祖王と尚寧王が眠っています。

 「とても静かですね」と比嘉さんは、あたりの静寂さに落ち着いた様子です。「ここは18世紀に初めて清明祭が行われたところです」というガイドの解説に比嘉さんは熱心に耳を傾けました。

 「私も毎年、家族と清明祭を行っています。歴史のある行事なのですね」。清明祭とは親戚が墓に集まり、そこで食事や唄と踊りを楽しみ先祖を供養する沖縄の行事のことです。人と集まってお酒を飲むのが大好きだという比嘉さんは、清明祭の話題から郷土史を身近に感じたようです。

 「知らないことが多くて、すべてが発見でした」と比嘉さんは感想を語ってくれました。

(2007年7月13日掲載)

浦添グスク・浦添ようどれ一口メモ

写真
浦添城跡の展望台からのすばらしいパノラマ。冬至の日には、この東端にあるハナリジー(為朝岩)の真上から太陽が昇る。まさにニライカナイに通じる場所

■ここでチェック

 「浦添ようどれ」は、琉球王族の再生を願って13世紀に造られたものです。太陽の輝く白い世界をイメージし、墳墓の扉も壁も白い建材が使われました。入口の前方にある薄暗い通路「暗しん御門(くらしんうじょう)」は、この世からあの世へ行くトンネルです。暗しん御門をくぐって神々や太陽が住むニライカナイ(楽園、死者の世界)に行き、そこから再びこの世に戻ってくると信じられていたのです。

 この浦添ようどれを復元するために、1977年から浦添グスクの発掘調査が始まりました。その結果、首里城以前の遺構、中国の陶磁器の破片や高麗瓦などの遺物が掘り出され、浦添が琉球初期の王都であるという説が裏付けられたのです。

 復元は2005年に完成し、同時に資料館「浦添グスク・ようどれ館」もオープンしましたが、浦添グスクの発掘調査と復元工事は今も続けられています。


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