CONSENSUS_2017_09_10
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 芭蕉が愛した山中温泉 松尾芭蕉が600里(2,400km)にわたる旅の記録を記した紀行文『おくのほそ道』は、俳諧という分野を確立した日本を代表する文学作品のひとつです。今回の文学散歩は、石川県・山中温泉を歩きます。芭蕉は、1689年夏、この山中温泉に8泊9日にわたって滞在しました。芭蕉はいくつもの温泉地をめぐっていますが、これほど長く滞在したのは山中温泉だけです。また、長らく二人旅をしてきた弟子の曾良と別れた地としても重要なスポットです。 この松尾芭蕉ゆかりの地を一緒に歩いてくださったのは、株式会社ウイルコホールディングスの見山英雄さんです。「山中温泉は、紅葉の時期に家族とよく来るなじみの場所ですが、訪れたことのないスポットもあり楽しみです」と見山さん。 弟子の曾良と別れた重要なスポット 最初に訪れたのは医王寺です。医王寺は、山中温泉を守護するお寺として薬師如来を奉っていることから町の人々からは「お薬師さん」と呼ばれ親しまれています。宝物館には、松尾芭蕉が山中を訪れた際に忘れていったと伝えられる芭蕉の忘れ杖が収められています。 次に訪れたのは、山中温泉の観光拠点でもある「菊の湯」です。 芭蕉は山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」とたたえ、「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」という句を詠んでいます。山中温泉の総湯「菊の湯」の名称は、芭蕉が『おくのほそ道』で詠んだこの句に由来しています。 また、この地で、これまでともに旅を続けてきた曾良が体調を崩し、芭蕉と別れます。その時の曾良の句が「行行て たふれ伏すとも 萩の原」。無念の気持ちが伝わってきます。そして芭蕉は「今日よりや 書付消さん 笠の露」と詠み曾良との別れを惜しみました。菊の湯のわきにある足湯「笠の露」はこの句から名づけられています。 滞在していた宿の主人との 意外な関係 東へ少し行くと「芭蕉の館」があります。ここは芭蕉が滞在していた泉屋という宿に隣接していた「扇屋」の別荘を再整備したもので、芭蕉ゆかりの品や山中漆器の秀品の数々が展示されています。泉屋の主人久米之助は、まだ14歳の若者でしたが、その才能と将来性を芭蕉に認められ「桃の木の 其葉ちらすな 秋の風」の一句とともに、芭蕉の俳号「桃青」の一字をもらって「桃妖」の号が贈られています。ここには、金沢から芭蕉・曾良の一行に加わった北枝が記した『山中問答』も展示されており、芭蕉の旅の様子がわかる貴重な資料となっています。芭蕉の館を出たところには、曾良との別れを伝える句碑と石像がありました。 「曾良の句には芭蕉との別れを惜しむ悲しみやさみしさが伝わってきて、切ない気持ちになりました」と見山さん。 次に、大聖寺川添いへ。草月流家元・勅使河原宏氏デザインのあやとりはしを渡り、北へ鶴仙溪の遊歩道を歩いていくと、芭蕉堂があります。芭蕉堂は、北国行脚の折りに立ち寄り、『おくのほそ道』で山中温泉の名湯ぶりをたたえた俳聖松尾芭蕉を祀る御堂。この鶴仙溪の道から見える周辺の風景の美しさに芭蕉は「行脚の楽しみここにあり」と手をたたいて喜んだと伝えられている景勝地です。 文学散歩を終えた見山さんは「医王寺にある宝物館で、住職の方から当時の山中の様子を聴けたこと、芭蕉の忘れ杖を見られたことは貴重な体験でした。泉屋の若き主人と芭蕉との関係など、初めて知ったこともあり、今度家族と来た時には、今日知ったことを話しながら案内したいと思います」と感想を語ってくれました。ISSN 1348-2505「文学散歩」の詳しい記事を、NUA WORLDに掲載しています。ぜひご覧ください。 http://jpn.nec.com/nua/sanpo/俳聖 松尾芭蕉が門人の曾良を供に、全行程600里、150日をかけて旅した日々を、文章と俳句で綴った紀行文。日本文学史に残る紀行文の最高傑作ともいわれる俳諧文学の金字塔的作品。曾良と別れた山中温泉で詠まれた句も載っている。作品紹介株式会社ウイルコホールディングス見山 英雄さん「おくのほそ道」 ゆかりの地石川県・山中温泉散歩した人芭蕉逗留 泉屋の跡医王寺『芭蕉 おくのほそ道 -付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄-』 松尾芭蕉 萩原恭男 校注

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