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NECものづくりコラム 匠の系譜 <第1回>

NECものづくりコラム 匠の系譜 <第1回>

NECグループが挑み続けた生産革新の舞台裏に迫る <前編>

「匠の系譜」第1回は、NECグループの生産革新の歴史を知り尽くしたSC統括本部 エグゼクティブエキスパートである渡邉 祐子の登場です。なぜ改革が必要だったのか、いったい何を変え、どんな成果を上げてきたのか、改革の現場を指揮し続けた渡邉に聞きました。

経営状況の悪化から火が付いた生産革新の取り組み

「これが最後の一冊なんです」と、渡邉は古ぼけた資料を手にしていた。黄色い表紙が印象的な手作りの資料、タイトルは『サプライチェーン改革で生き残れ』。そこには、90年代にNECが本気で取り組んできた生産革新の生々しい歴史が刻まれていた。

表紙をめくると、『なぜ改革が必要なのか』と題したページが目に飛び込む。そこには、ひとつの象徴的なグラフが掲載されていた。

「当時、NECは負債が資本を上回り、早急にキャッシュフロー経営へ移行しなければならない状態に追い込まれていました。経営幹部はデッドエクイティレシオを大幅に改善しなければならないと宣言。これが生産革新に取り組む大きな契機でした」と渡邉は当時を振り返る。

国内工場の生き残りをかけた生産革新活動がはじまる。

1960年代のNECは、品質不良ゼロを目指すZD(Zero Defect)活動を推進して量産技術の確立に邁進した。その後は好景気が続き、1980年代の高度成長期はFA(Factory Automation)全盛の時代、NECグループの各工場はデミング賞を受賞し、右肩上がりの成長を遂げた。

転機は1990年、2月に日経平均がブラックマンデーに次ぐ下落率を記録、ドル円は160円から一気に80円台へ、いわゆるバブル崩壊である。輸出型企業は多大なダメージを受け、その多くが生産拠点を海外移転に進める動きが加速、産業空洞化が進んだ。製造の現場ではアウトソーシングを推進するEMS(Electronics Manufacturing Service)が注目を集め、国内の工場は、その存在価値を問われはじめた。

「NEC社内でも、国内工場の存続が真剣に議論され、製造現場は生産革新に取り組まなければ生き残れないという危機感が漂っていました。そこで私たちが最初に取り組んだのが、改革の推進者を育成する基礎教育でした。
1993年にはトヨタ生産方式のコンサルタントを招き、生産技術のメンバーを集めて基礎教育を開始。私は事務局スタッフとして、現場に座りこんで説明してくださる先生に座布団を敷く役割だったので、いつも一番前でお話を聞かせていただきました。

でも、先生から改善道具はよいが、現場に筆記具を持ってきてはならないと言われ、メモを取れず、一言も聞き漏らさないよう話を頭に叩き込みました。そして、当日の事務処理や食事会などが終わった後、一日の出来事を順番に思い出しながら必死で書き出したものです。
あの頃受けた訓練のおかげで『どうやって現場をみていくのか』という基礎が身に付いたのだと思っています。」

ラインの生産性向上を目指し試行錯誤を繰り返す

基礎教育と並行して、トヨタ生産方式に学びながら製造ラインの改革も進められた。最初に取り組んだのは「間締め」と呼ばれる改善運動である。これは生産ラインの作業者の熟練度や作業スピードによって生じる仕掛りのムダをなくすため、工程を連結してモノを留めない生産を目指す改善手法だった。

さらなる改善を目指し、次に取り入れたのは「屋台(セル)生産方式」だった。これは、単能工からすべての工程を一人で担当できる多能工に切り替えることにより、ライフサイクルが短い製品や、変動が大きい製品を効率的に生産することを目指す手法だ。この生産方式は優れたものだったが、多能工のスキルを持つ人材の確保が困難であることや、屋台と呼ばれる一人用ラインの増減に労力がかかるという課題を抱えていた。

そこで方向を転換し、新たに取り組んだのが「リレー生産方式」である。これは生産ラインで手の空いた人が、仕事の終わっていない工程をカバーすることにより、全員が一個の製品をアウトプットするために最大限の力を使い続ける手法だ。市場環境の変化に強く、効率的な多品種少量生産を可能にする。また、これを実現するため、右手左手の動きまですべての手順を規定し、それを全員に徹底していく中で、品質の改善にも大きな成果が出た手法だった。

こうした生産革新の成果は、経営上の数値へ目に見える形で現れた。「取り組みをはじめてから2~3年後には、棚卸を大幅に落とすことに成功し、飛躍的な負債圧縮効果が現れ、危惧していた危機的な状況を脱出することができました。その数値をみた経理担当役員が一連の取り組みを高く評価してくださり、その後、生産革新活動は一気に加速しました。」

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