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地球を見つめる星を造って 第2回 積み上げられた自信、「おれに任せろ」

重さ250kgにも及ぶ、2mもの大型アンテナを有するAMSR2のセンサユニットが1.5秒に1回という高速で回転する。こんな状況で衛星の姿勢が揺れたり、他の機器に影響は無いのだろうか、そんな質問をぶつけられた「しずく」姿勢系担当の星野はこともなげに答えた。「絶対大丈夫です、影響が出ないように造ったし、試験も万全のものをやりました。万が一の故障時にも、完全なFDIR(後述)が働くので安全です!」この自信はどこから来るのだろう。

それは、「だいち」で軌道上5年以上にわたる運用で実証された実績に裏打ちされ、「しずく」の徹底的な試験の結果得た自信だった。こういう星野にも苦難の時期があった。開発のスケジュール遅れ、どうやってそこからグループ員の意識をあわせ直して、ここに至ったか、星野裕毅の話を聞いてみよう。


写真:「しずく」姿勢系担当 星野 裕毅

星野 裕毅
「しずく」姿勢系担当

火中の栗を拾ってプロジェクトへ

  • 小笠原:星野さんの、入社からこれまでに至る経歴をお話し下さい。
  • 星野:私は、多くの宇宙の技術者が「宇宙にあこがれて・・・」という入社動機を語る中で、全く違った動機で会社に入ったのです。本当にやりたかったのは「白もの家電、特に炊飯器」でした。まあご飯食べるのが大好きだったから(笑い)。
    でも、配属の時に「宇宙の方が自分の時間が持てるぞ」という先輩の言葉にひかれてここにやってきました。結果はなかなか自分の時間が取れなくなってしまいましたけど。

    最初は技術試験衛星「きく7号」、その後地球観測衛星「だいち」、金星探査機「あかつき」は打ち上げ前までやりました。その後が「しずく」です。

    「しずく」は開発の途中から飛び込んだ衛星でした。そのころ姿勢系作業が大幅に遅れて、スケジュール的に間に合わないという事態に追い込まれていたのです。3年ほど前です。そんな時期でした、自分が「しずく」に加わったのは。
  • 小笠原:そんな大変な時に、火中の栗を拾うようにプロジェクトに入ったのには訳があるのですか?
  • 星野:少し個人的なことになるのですが、「だいち」を担当していた時に非常にお世話になった方がいたのです。「だいち」の時は、その方のアドバイスに随分助けられました。その方が私に「しずく」を助けてくれないかと言うお話をされたんです。実情がわかっているだけに悩みました。そう、2,3日考えたかな、でも出した答えは「これをやらなくちゃ、男じゃない!」というものでした。
  • 小笠原:それからどうやって立て直していったのですか?
  • 星野:まず、実現可能なスケジュールをたて直しました。あわせて新たなスジュールをもって、JAXAに何度も説明に行って、遅れによって失いかけた信頼の確保に努めました。正直に実情を知ってもらって、現実的対策を受け入れてもらうことを粘り強くやりました。この間、自分自身が体調を崩しかけたこともありました。

    メンバーには、すぐ “つっ走ってしまう” 自分に良くついてきてくれたと感謝しています。こうやって、打ち上げの1年前くらい前にようやく先が見えてきたでしょうか。

写真:振動試験前に恒星センサの確認をする、NEC東芝スペースシステムの検査員。繰り返し試験が行われた。振動試験前に恒星センサの確認をする、NEC東芝スペースシステムの検査員。繰り返し試験が行われた。

  • 小笠原:安心できたのは、打ち上がってからですか?
  • 星野:いえ、もっと前。2011年11月に種子島に搬入してからは安心しましたね。あんなに試験もやったのだから、あとは心配ないと。
  • 小笠原:星野さんにとって一番嬉しかったのはどんな時ですか?
  • 星野:実は打ち上がった後も、姿勢系は初期の動作確認期間が長いんです。2ケ月も続きます。姿勢系を構成する機器が多くて、それを動作させるためのコマンドも非常に多いのです。

    2ヶ月近くかかった最後の作業、これは7月5日、FDIR(後述)の “しきい値” を初期運用の状態から定常状態の値に戻すというものでした。この作業が無事終わった時、JAXAのSC(サテライト・コンダクタ:衛星運用の責任者)が立ち上がって「長きにわたってやり続けた姿勢系の動作確認が今日で最後になりました。星野さん始めみなさんご苦労様でした」と言ってくれたのです。
    「星野さん一言どうぞ」と言われましたが、私は何を言ったか全く覚えていません。ただ “うるうる” してたことだけを覚えています。そして拍手、なんと全員で万歳までしたのです。JAXAの方も他のメーカの技術者も一緒に。本当に今までの苦労が報われた瞬間でした。
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