ページの先頭です。
サイト内の現在位置を表示しています。
  1. ホーム
  2. 宙への挑戦
  3. はやぶさ
  4. スペシャルコンテンツ
  5. お手玉から導きの光へ ~ターゲットマーカー誕生の裏に~
ここから本文です。

お手玉から導きの光へ ~ターゲットマーカー誕生の裏に~

40年以上前に、幼い妹の着物として使われた古布が、母の手で20年前にお手玉として蘇り、あるとき小惑星表面でも使える目印(マーカ)のアイデアに窮した私の手の中で、「はやぶさ」をイトカワ表面に導いたターゲットマーカーになるまでの物語の始まり始まり・・・

targetmarker (C)NEC Corporation

さあ、どこから話を始めようか、
40年前の冬の山形、凍てつく雪の日から。
いや、1997年の資料のとあるページから。

プロローグ

手許に1997年12月の会議資料がある。

「ターゲットマーカー方式検討(第5報)」。このとき初めてターゲットマーカーという名前がつけられた。それまでは小惑星の表面に落とす目印は「ターゲットプレート」と呼ばれていた。

「固いプレートじゃ無重力に近い小惑星の表面では跳ね返って使えません!」
「反発係数(*)0.1以下は大変困難です」

12月の会議から3ヶ月、どうやって、地球表面の10万分の1しか重力の無い天体の表面で"はねない"目印を作るか、それが私たちに課せられた難題であり、検討メンバーの試行錯誤が続いていた。何しろ、スライム、低反発ウレタン、糸に通したビーズ束(たこ足のような)、光を反射するコーナーキューブを複数繋いだもの(投網方式と言ってた)、手裏剣のようなもの、果ては目印となるように塗料を表面にまく案まで、混沌とした論議の中に「袋、お手玉のように何か詰め物した」そんなアイデアも出ていた。

そんなある日、当時6歳だった娘のおもちゃ箱が目に止まる、普段余り見ること無い箱。その中には無造作に何個もの「お手玉」が転がっていた。随分古びた布地、きっと母が、昔の古着をあつらえなおして作ったものだろう。手に取る、放り上げてみる、落下すると、ぴたっと手に吸い付くように止まる。

「これだ、これでいけそうだ、みんなに見せて検討してみよう・・・」

取り急ぎ、宇宙科学研究所(当時はまだJAXAへの統合前)への報告資料を作り上げる、それが1998年2月の資料となる。この会議にお手玉を持っていってみんなで挙動を確認した。参加メンバーの感触は「いけそう!」と言うものだった。このとき初めて「お手玉型」ターゲットマーカーが検討、試作の第一候補となった。

このアイデアでうまくいくのか、考えてもわからない、実験あるのみだ。

しかし、この時は誰も、名古屋・北海道・岐阜を巡る3年もの長い実験行脚の始まりとは思いもよらなかった。

まずは材料集めから始めた。(もちろん娘のおもちゃ箱にあった「お手玉」の材料になっていた小豆や普通の布地は宇宙では使えない)布は、高温/低温にも耐えるもの、中身はまずはガラス球だ。

さて、そのガラス球をどうやって、どこから調達するか?

「そうだ、世界一の手芸材料屋があるではないか」ということで早速蒲田のユザワヤ本店へ。

「ガラスビーズください。このビンとこのビン、3kg欲しいんですが」
「色と型はどうなさいますか?」
「色はどうでも良いです、大きさ1mmと3mmと5mmくらいが欲しいのです」
「?」

次々とビンで色とりどりのガラスビースを買い求める中年の男性客に、店員は何を思ったのだろうか。

次なる問題は、イトカワ表面の高温だった。100度を優に超えると想定された表面で耐える布素材、それは何か?すぐに思いついたのが消防服素材=ノーメックス。この素材、デユポン社製のアラミド繊維で作られ250度もの温度にも難なく耐える耐熱性に優れたもの。

早速、ノーメックス布の袋にガラス玉を詰めて縫製完了。
さあ、いよいよ実験の始まりだ。

  • * 反発係数:衝突前に互いに近づく速さと、衝突後で遠ざかる速さの比。この場合は垂直に秒速約10cm程度で降下してくるターゲットマーカーが、表面ではねて上昇していく速度を秒速1cm以下まで抑える必要があったので、反発係数0.1以下という目標が決められた。

そして、全国行脚が続く

1998年6月、まず「お手玉」は名古屋空港にある、無重力フライトのできる日本唯一の航空機「MU-300」(ダイヤモンドエアサービス社所有)に積み込まれた。実験するのは吉澤直樹(NEC航空宇宙システム)。何しろこの日に備えて、八景島シーパラダイスにある無重力遊具(フリー・フォール)で繰り返し練習を重ねたつわもの。何度も何度もフライトを行い、ビデオに無重力状態での挙動が記録された。

この実験の結果から布の剛性が問題になってきた、ノーメックス布地はけっこう硬く、実験を繰り返すうち、布剛性が反発係数(*)を大きくしていることが分かってきた。そして、布地からの見直しに奔走する日々が始まったのだ。

そして、「はやぶさ」下面に装着されたフラッシュランプの光を、再帰反射(入射した光が再び入射方向に帰るような反射現象)する反射材(住友スリーエム社製:東京、世田谷区)これをポリエステルのメッシュに熱圧着するという、最終形に繋がる方式に行き着く。このポリエステル素材も軟化する温度が240度と、想定していたイトカワ表面温度より十分高いことがわかり、布としてのやわらかさと相まって、有力な素材候補となった。この布地への反射材の圧着加工に関しては八欧産業(東京、杉並区)に製作を一任し、同年7月の、北海道実験の寸前に、ポリエステル布材によるターゲットマーカーが完成する。

その次は、北海道の砂川にある、国内最深の三井砂川縦坑を利用した無重力落下実験装置(JAMIC:2003年閉鎖、今はこの実験設備は無い)。ここでも何度も1000mもの奈落を落としながら1回10秒程度の無重力環境下での実験が続いた。

「何とかいけそうだ、反発係数(*)0.1以下のターゲットマーカーが」

砂川に引き続いて、岐阜県土岐市にある日本無重量総合研究所(MGLAB)では、初めて実験容器を真空にしての無重力落下試験を実施、このとき、重大な事実がわかった。

「真空にすると、今まで布袋の空気抵抗で抑えられていた反発が、空気抵抗が無くなったことで大きくなる」、つまりやわらかい布のお手玉は使えないことがわかったのだ。こうして、また振り出しに戻ってしまった。

写真:NEC Corporationターゲットマーカー試作品
(表面の反射材は外してある)と
モデルとなった「お手玉」

写真:JAXAターゲットマーカー
直径約10cm、表面の反射材、
回転防止の“いが”

そのとき素晴らしいアイデアを提案してくれたのが、JAXAの澤井秀次郎さん(当時助手)だ。「固い殻をもつ中に、ビーズ様のものを詰めて重いターゲットマーカーにすれば、お手玉と効果は同じはずだ」これはターゲットマーカー方式のコペルニクス的な転換だった。早速硬いターゲットマーカー造りが始まった。

アルミの薄板を「深絞り」の技法で球殻状に加工するのは、これまで実験装置の開発でさんざんお世話になった清水機械。(東京:墨田区)非常に薄いアルミ板を半球状に加工、これを組み合わせてテープで接着、試験用ターゲットマーカーの外形が出来上がった。

次に内部のガラスビーズをどうするかの検討も始まった。

宇宙空間で長く安定的な素材として宇部興産(東京:港区)のポリイミド素材を、鈴幸商事(横浜市)経由で特殊な形状に加工して購入。出来上がったアルミ球殻にポリイミドの個数を変えながら充填、更なる無重力実験が行われた。表面での回転を抑止するための「いが(アルミの突起状のもの)」もつけられ完成したのが、「いがつき、硬いターゲットマーカー」である。これが、イトカワの表面で、「はやぶさ」を導く光となる。

その後何度も行われた、真空下での無重力実験で、いがつき、硬いターゲットマーカーの性能は十分に発揮され、この形状で衛星への搭載が決まった。

1998年、はじめて「お手玉型ターゲットマーカー」が検討の俎上に上げられてから、紆余曲折を経てここまで3年もの年月が費やされた。

エピローグ

写真:JAXAターゲットマーカー分離

2005年11月20日、高度40m/秒速9cmでゆっくりとターゲットマーカーが「はやぶさ」から分離された。

数分後、表面に到達したターゲットマーカーは大きくバウンドすることなく、小さな砂利が敷き詰められたようなイトカワ表面に落ち着いた。上空からは「はやぶさ」下面に搭載されたフラッシュが、矢継ぎ早に光を浴びせる、それに導かれるように「はやぶさ」がターゲットマーカー目指して降下してくる。

高度17m、ファンビームセンサが障害物検知を発して、この時のタッチダウンは2度のバウンドと、後に30分もの不時着となってしまった。ターゲットマーカーと「はやぶさ」との会合はならなかった。

そして、11月26日、再び「はやぶさ」のチャレンジが始まった。

今度のチャレンジでは、ターゲットマーカーを使用しなくとも垂直に降下することが可能と判断され、新たなターゲットマーカーの分離は行われなかった。

26日、6時24分、高度250m。H型をした「はやぶさ」の影のそばにそれはあった…太陽の光をいっぱいに浴びて輝きながら、今私はここにいると、まるで「はやぶさ」を導くように。

写真:ISAS/JAXA11月20日午前4時58分撮影 / 11月26日午前6時24分撮影
2005年11月26日に撮影されたターゲットマーカーがイトカワ表面で光っている画像

写真:JAXAターゲットマーカー(拡大画像)

「はやぶさ」は2010年に地球帰還を果たし、イトカワのサンプル回収という人類初の偉業を成し遂げた。

今も、イトカワの赤道付近にあるターゲットマーカーは、その自転に乗せられたまま、12時間に1回(イトカワの自転周期)太陽の光を受けて、何も無い虚空に導きの光を投げかけている。反射材には寿命があるので、そう長い期間光を返せるとは思えない、それでも近くからはまだ導きの光が表面に見えるかもしれない。人類が2005年に、ここに到達した唯一の証として。

40年ほど前に、凍てついた北国の炬燵で、母の手によって縫われた妹の着物布、20年ほど前に、孫の遊び用にと「お手玉に」作り変えられて、それをヒントに作られたマーカーが、今もイトカワの表面で光を投げかけている、そんな長い物語が今ここに終わる。

(2011年3月記)

写真:小笠原 雅弘(おがさわら まさひろ)

NEC航空宇宙システム
宇宙・情報システム事業部
シニアエキスパート
小笠原 雅弘(おがさわら まさひろ)

1982年、NEC航空宇宙システム入社。その後一貫して、ハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」、スイングバイ技術試験衛星「ひてん」、月周回観測衛星「かぐや」そして「はやぶさ」など、太陽系探査機の開発/運用に従事。

ターゲットマーカー素材・加工関係のメーカ
反射材(住友スリーエム)
反射材のポリエステル素材へのパッチ加工(八欧産業)
アルミ球殻加工及び実験機構(清水機械)
内部の小球=ポリイミド素材(宇部興産、鈴幸商事) など

これらの企業は2010年12月に「はやぶさ」功労者として、宇宙開発担当大臣・文部科学大臣表彰を授与されました

ページ共通メニューここまで。

ページの先頭へ戻る